sinkope is not kind of paradoxical existence

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湯布院

バスはR500を経由し、鶴見岳由布岳を横に見ながら由布市を目指します。で、ガイドさんによる由布岳関連の民話を二つ。「その昔、日向の国に高山という山が居た。たいそう高さを自慢していた高山は、豊後の由布岳の高名なウワサを聞く。よし、そいつのそばまでいって背を比べてやろうじゃないか、と勇んで由布岳のそばまで歩いて行ったら、なんと自分は由布岳に遥か及ばない。腰を抜かした高山はその場に動けなくなり、以降日向岳と呼ばれるようになる」‥‥歩くのかよ(笑)。「鶴見岳は美しい女性の山、由布岳は勇壮な男性の山。由布岳鶴見岳を好きでたまらなかったが、彼には祖母岳という恋のライバルがいた。二人は鶴見岳を娶る為に常々自分の自慢や相手の非難をしていたが(中略)、結局最後には鶴見岳由布岳のことを好きだと言ってしまう。戦いに敗れた祖母岳はさめざめと泣いて、涙が溜まって志高湖が出来たという。祖母岳は二人から隠れるように、自分の姿を原生林で隠してしまった」‥‥泣くのかよ(笑)。それはそれとして、豊後富士とも呼ばれるなだらかな由布岳は、確かに立派な姿をしております。

そしてバスは由布の市街へ。ちなみに「由布市」とか「湯布院町」とか「湯布院IC」とか「由布院温泉」とか、「ゆ」の字が入り乱れているのには歴史的事情があるのだそうで。そもそもこの地域は1955年に湯平町と由布院町が合併したものであり、その際に「ゆふいん」という名にするのであれば、せめて「湯」の字だけでも使ってくれないか、という湯平町民の願いがあり、その当時以降の新しい表記は「由布院」よりも「湯布院」が使われる傾向になったとのことなんですと。しかし昨年の挾間町庄内町との平成の大合併で、市名は「由布」に戻ってしまい、今後はどうやら「由布院」がメインになりそうな気配。で、町名としての「湯布院」とインターチェンジとしての「湯布院」は残るけど、あとはどうなるやら‥‥って按配なのだそうで。
あとは、まぁ、「風のハルカ」ですかね。ウチの奥さんや義父や義母的には、そこの辺りも楽しみなことでしょう。また、湯布院町は朝霧でも有名なところでしたが、あいにく今日はどピーカンでした。
バスは民芸村そばの駐車場に停まり、一旦ツアー客全員で集合写真を撮ったあと、解散となりました。その場所からも由布岳が望め、我々だけでもパチリと記念撮影。

まずは奥さん提案で金鱗湖へ向かって歩きます。比較的狭い道路を川沿いに歩くのですが、なんか川と反対側にはちとファンシーっぽい土産物屋などが並んでおります。後で奥さん曰く、「なんか軽井沢とか清里みたいになっちゃってて、ちょっとねぇ」みたいな。たしかに‥‥。10分ほどゆっくり歩くと、こじんまりとした湖が見えてきました。「風のハルカ」のオープニングにも出るそうですが‥‥ワシ見たことないしなー、そのドラマ(ぇー)。湖畔にはシャガールの「サーカス」を展示してある建物などもあり、そのそばで義母が買った地獄蒸しプリンを頂ました。う、美味いじゃないですか。子供らは川や湖の中に小魚を見つけては喜び、湖畔で鳥をみつけては喜び、なんでそんなに元気なのってくらい飛び跳ねております。休憩の後に湖の周りを一周し、一旦駐車場方面へ戻りました。途中、奥さんはパンとか買い込んだり。
その後、あまり土産物に縁のなさげな上の2人の子供と義父ははバスの中で待機、奥さんと義母は各々バラバラに近くの通りに散っていきました。ワシは次男と川っぺりを散歩していたのですが‥‥川へ降りる木の階段をみつけた次男、勇んで川原へ下りて遊んでいるうちに‥‥なんか片足を水の中に入れてしまった模様。とほほ。しゃーないので駐車場へ戻って靴と靴下を片側だけ脱がせ、陽に当てて乾かしておりましたところ、添乗員さんが「百均で買ったヤツですけど、使ってください」とスリッパをくださいました。あああありがたい、つか申し訳ない(汗)。戻ってきた奥さんも顛末を聞いて苦笑するしかなかったという。
駐車場にはひっきりなしに観光バスが出入りし、川の上までバスの前部オーバーハング部を張り出させてのスイッチバック等の芸当も見れました。すごいなぁ。
結局奥さんらは「風のハルカ」っぽいところは見られなかったんだそうで、やや期待とは違った訪問になった感じで湯布院を後にしました。しかし恐らく、1泊する感じでゆったり訪れれば、また印象はずいぶん違うのでしょう。ちなみに後でこんなサイトを見つけました。